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女工哀史が刻まれる絶景峠
野麦峠
岐阜県高山市・長野県松本市

201694日制作

野麦峠からの乗鞍岳
江戸時代、信濃と飛騨を結ぶ最も一般的な道が通称「野麦街道」。
松本から入山、寄合渡、川浦を経て野麦峠を越え旧高根村に至る。
信濃からは米や清酒など、飛騨からはブリ(塩ブリ)や塩、曲げ物などが運ばれた。
天領で代官所のあった高山と江戸を結ぶ道でもあった。
明治時代になると、飛騨から岡谷・諏訪などのキカヤ(製糸工場)に向かう若い女性達にも利用された。
2月には岡谷・諏訪へ、12月には故郷の飛騨へ。
大雪の険しい峠道。
国鉄高山本線が全線開通する昭和初期までこのルートを歩いた。
野麦峠を越えた工女達
飛騨地方の少女たちの大半は、尋常小学校を卒業すると「口減らし」のためにも岡谷・諏訪などのキカヤ(製糸工場)へ出稼ぎに出された。
彼女達が工場ごとに列を作り、時には吹雪の野麦峠を越えていった。
峠道から転落して命を失った者もいれば、工場での激務から身体を壊して亡くなった者もいた。
12月の仕事納めになると、稼いだ1年分の給金を懐に、再びこの野麦峠を越えて故郷の飛騨へ。
中には成績優秀な「百円工女(当時は百円で家が1軒建った)」と呼ばれる娘が稼いだお金で、大地主になった家もあった。
去りゆく飛騨を惜しむ、野麦峠。
ここから見える乗鞍岳は、あまりに美しい。
当時の工女唄にも、「行こうか信州へ 戻ろか飛騨へ ここが思案の・・・・」と唄われたほど。
峠名の由来
「野麦」とはクマザサの別名である。
米が凶作の時には、決まってこのクマザサが実をつけ、飛騨の人達の食糧となっていた。
この峠にはそんなクマザサが群生。「野麦峠」の名前が付けられた。






政井みね像
「ああ飛騨が見える・・・」政井みねの銅像
車道の横に、兄に背負子でおぶわれた少女の像。
映画化もされた山本茂実の名作「あゝ野麦峠」の主人公・政井みねだ。
彼女は尋常小学校を終えると、岡谷のキカヤ(製糸工場)に働きに出た。
成績優秀で、工場側からも「百円工女」ともてはやされた。当時の百円は家が建つというほどの価値。
しかし、劣悪な労働条件、そして激務。
みねは病になり、倒れてしまうのだった。
「ミネビョウキ スグヒキトレ」という工場からの電報を受け、兄の政井辰次郎は、飛騨から本来4〜5日かかる道を2日で歩き通し、岡谷の工場に着いた。
辰次郎は病院に入院させようとしたが、みねは「飛騨へ帰りたい」という意思が強かった。
そこで、彼女を背負子におぶい、飛騨を目指し峠道を登っていった。
そして、何とかたどり着いた野麦峠頂上。
みねは乗鞍岳を見て、「ああ飛騨が見える・・・」と嬉しそうにつぶやくと、21歳の短い生涯を終えた。

政井みね像
映画では政井みね役を大竹しのぶ、兄の辰次郎役を地井武男が演じた。

野麦峠頂上(長野県と岐阜県の県境)

旧野麦街道入口
再現された「野麦街道」
信濃(長野県)側から来ると、松本から国道158号線を走り、奈川渡ダム付近で分かれ、寄合渡、川浦とくる。
その川浦近くにあるワサビ沢から野麦峠頂上までの約1,300mの旧道は、「旧野麦街道」として県の史跡。
山道なので、ハイキングスタイルで歩くのが望ましい。

野麦峠の石碑


お助け茶屋
お助け茶屋
1,672mの野麦峠頂上には「お助け茶屋」が再現され、今でも食堂の営業を行っている。
江戸時代から明治期にかけて創業し、「鬼婆さ」とよばれる管理人のバア様が切り盛りをしていた。

お助け茶屋 店内

お助け茶屋 店内


川浦宿の工女宿・宝来屋
博物館「野麦峠の館」
野麦峠の他、全国の峠について展示した市営博物館。
自然地理学、人文地理学、民俗学など様々な観点から野麦峠や飛騨のことを知ることができる。入館料500円。

「峠の館」館内(高根村の木)

「峠の館」館内(昔の機織り機)

「峠の館」館内(峠越え工女さん達のスタイル


観音様。詩が刻まれている。
「野麦よ 
この峠路に縁ある 
あらゆる生命の 
限りなき 幸せを祈る
生き生きと輝ける日も 
消えにしあとも
安らかに 
合掌」。

野麦峠頂上(長野と岐阜の県境)

展望台付近から

野麦峠から乗鞍岳(夏)



政井みねのお墓は、野麦峠から高山市内を過ぎ、生まれ故郷である旧角川村(現在の飛騨市角川)の専勝寺にある。
寺の鐘の所には、お墓の場所を示す案内板が立ち、現在でも花を手向ける人が多いという。

政井みねさんのお墓(角川・専勝寺)


野麦峠の場所




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