東海地方 岐阜県
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大規模で長い歴史
国内一高所の山城
岩村城跡
岐阜県恵那市岩村町

2016521日制作

別命を霧ヶ城といい、天然の峻険な地形を利用した山城。
標高717mと、本丸が全国の山城の中でも最も高所。
高取城(奈良県)と備中松山城(岡山県)と並んで日本三大山城の一つ。
源頼朝の重臣・加藤景廉(かとうかげかど)が1185(文治元)年に創築。
明治維新以後の廃城まで、約700年にわたり城と城主が続いた長い歴史を誇る。


武田信玄の家臣・秋山信友が攻めた時、女城主は領民や家臣を守るため信長の叔母でありながら信友との結婚を受け入れた。
長篠の戦で織田勢との勢力が逆転すると、織田勢により岩村城は陥落。秋山信友や女城主は無残にも処刑されてしまう。
領民を守った心優しい女城主の悲話から、「女城主の里」とも呼ばれている。

太鼓櫓

太鼓櫓の夕景
江戸時代で平和になると、山麓に藩主邸ができた。
ここから城下に時を知らせたのが太鼓櫓
1990(平成2)年に復元された。

岩村歴史資料館
岩村歴史資料館には、1718(享保3)年の絵図と平面図などが展示されている。
これは、城主・松平乗賢が、石垣修理のため幕府に提出した。

知新館の正門
知新館は1702(元禄15)年に創立された岩村藩校。
全国屈指の古い藩校で、岩村藩は教育に力を入れていた。
岩村から多くの偉人が輩出されたことに影響している。

佐藤一斎の銅像
幕末の儒学者・佐藤一斎も岩村出身。
門下生に、山田方谷、佐久間象山、渡辺華山などがいて、教えは幕末から明治で活躍した多くの著名人に影響を与えた。
2001(平成13)年には小泉首相が国会審議で一斎著「言志四録」を引用し、引退後には岩村を訪問した。
本丸まであと700m

下田歌子誕生の地 石碑
下田歌子は岩村出身で、明治から大正にかけての活躍した女子教育の先覚者。

下田歌子勉学所
勉学に励んだ父の書斎。女であるため知新館で学ぶことはできなかった。

下田歌子像

岩村城への道

三好学銅像と石碑
三好学は植物学者、理学博士で、日本の近代植物学の基礎を築いた一人。
岩村藩江戸藩邸で出生、7〜11歳の時に岩村で暮らした。
石碑には、「環境があって そこに人間が存在する」と刻まれている。
桜と菖蒲の研究や天然記念物保護法成立などに尽力した。

ヒトツバタゴの花





初門のあった場所
岩村城最初の関門・初門。有事の際に通行を遮断できるようになっていた。
登城坂はここで初めて大きく曲がっている。

大手櫓門址
大手櫓門は岩村城の正門で、城内で一番大きかった。

霧ケ井
霧ケ井は八幡曲輪にある城主専用の霊泉。
敵が攻めてきた時、大蛇の骨をここに投げると、霧が湧いて城を覆って守ったという。
ここから岩村城が「霧ヶ城」とも呼ばれるようになった。

八幡神社

菱櫓址
本丸の手前に菱櫓址がある。
石垣も建物も菱形だったことが名の由来。

菱櫓址から本丸の六段壁

六段壁
本丸の北東には、6段の石垣・六段壁が見事に残っている。
崩落補強を繰り返し、現在のような姿になった。
本丸周辺の石垣は「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれる程、山上にある壮大な遺跡だ。
城マニアでなくともそのスケールを実感できる。

出丸側から見た本丸の石垣

本丸の石垣

本丸
本丸は国内の山城で最も高く、標高717m。
石垣の上は広くなっており、昇龍の井戸や休憩所などがある。
周辺は高い樹木に囲まれているが、北側は視界が開けている。
本丸へは、岩村歴史資料館から登城坂で約900m、徒歩約40分。
または、国道257号線を上矢作方面に進み、道標に沿って左折。本丸に隣接する出丸駐車場まで車が入れる。





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