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人道で命を捨てた義民を祀る
宗吾霊堂
千葉県成田市

2018825日制作

百姓一揆をなだめる惣五郎
佐倉惣五郎は、江戸時代に下総国印旛郡公津村の名主で、通称は宗吾
領主の重税に苦しむ村民を救うため自らを犠牲に将軍へ直訴、処刑された。
人道のため命を捨てた義民の代表格。



宗吾参道駅からの道
宗吾霊堂は、そんな佐倉惣五郎が祀られた古刹。
正式名は鳴鐘山東勝寺。ちなみに成田山新勝寺の名は、東勝寺より新しい寺の意味。
最寄りの駅はその名も宗吾参道駅(京成電鉄)。駅から約900m、徒歩約13分。

宗吾霊堂入口


本堂
本堂
1921(大正10)年の再建。本尊は宗吾様。
仁王門
1978(昭和53)年に宗吾様の325年祭記念事業で建立。


惣五郎親子御廟
御廟
宗吾様と、共に打ち首になった4人の子供が合葬されている。
今も線香の煙が絶えることがない。

宗吾霊宝殿
宗吾霊宝殿
宗吾様の遺品や当時の貴重な品々の展示がある博物館。

宗吾御一代記館
宗吾御一代記館
生涯の様子13場面が等身大人形66体で再現されている。
佐倉騒動の発端から、家族との別れ、将軍様への直訴、処刑。
入館料700円。


甚兵衛渡しの場
佐倉惣五郎(宗吾)について
4代将軍・徳川家綱の時代に、この地で力のあった名主。
当時、藩主は立場を悪用し、賄賂を受け取ったり、重税を掛けて民を苦しめていた。
惣五郎は見かねて、将軍に直訴することを決心する。

妻子と最後の別れ
しかし、将軍に直訴を行うと、本人や妻子・親戚まで磔ないし打首獄門という厳しい沙汰が下る。
そこで、妻に「離縁状」を、4人の子供達には「勘当状」を渡した。
しかし、妻は「離縁状」を破り、「地獄の底までもお供します」と言い切った。子供達も続いた。

将軍へ直訴する惣五郎
妻子と最後の別れ、そして江戸へ。
1652(承応元)年、惣五郎は将軍・徳川家綱に直訴。
すぐに佐倉藩へ取り調べが始まり成功するも、やはり当時の直訴は重罪。

処刑される惣五郎親子
惣五郎親子は処刑、助けられた多くの人がその場で念仏を唱えたという。
妻のキンと娘2人は、領民などからの嘆願で特別に御咎めなしとなった。
藩主・堀田正信には減税即刻施行の命が下り、後に精神異常となり藩主を解任された。
これは「宗吾様の祟りだ」といわれた。
1752(宝暦2)年、藩は惣五郎の名誉を回復、以来「宗吾様」と呼ばれるようになった。
この悲話がモチーフとなったのが斎藤隆介の童話「ベロ出しチョンマ」で、教科書でも採用された。





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