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悲話の渡し跡に立派な松林
甚兵衛公園
千葉県成田市

201958日更新

甚兵衛渡し跡の桜
かつては広大な面積を誇っていた印旛沼
現在は干拓や、近代化のための埋め立てで、昔ほどの大きさはなくなった。
その印旛沼にあった渡し船の一つ。
その渡し守の名前を取って「甚兵衛渡し」と呼ばれていた。


ここに、江戸時代の一つの悲しい物語がある。

甚兵衛渡し入口の桜並木
四代将軍・徳川家綱公の時代。
時の佐倉藩主は重税や賄賂などで私腹を肥やし、庶民たちは苦しい生活を強いられていた。
それを見かねた名主の佐倉惣五郎(宗吾)は、江戸へ出て将軍への直訴を決断。
当時の渡し船は、陽が落ちると船を出すことは厳しく禁じられていた。
特に佐倉藩では、名主の惣五郎が何かやるのではと警戒。
そんな時、惣五郎が江戸へ直訴に向かうため、船着き場へやって来た。
渡し守の甚兵衛は、惣五郎を止めて考えを思い留まるよう諫める。
しかし、惣五郎は命を懸ける程の堅い意思。
察した甚兵衛は、何と渡し船を繋いでいた鉄の鎖を鉈で切り落とし、惣五郎を対岸に送り届けた。
惣五郎は江戸へ。そしてついに、将軍に直訴。

で、
禁を犯して渡し船の鎖を断ち切り、船を出すことは重罪で、きつい罰は確実。
老体の身を哀れに曝すよりかは、と甚兵衛は冬の凍りつく印旛沼へと身を投げたのだった。
人はここを「甚兵衛渡し」と呼ぶようになった。


甚兵衛渡し跡の松林
現在では渡し場の面影もないが、後で植えられた松が立派に育っている。
松林は「日本の名松百選」。

渡し場跡の児童公園
佐倉惣五郎親子の墓がある「宗吾霊堂」までは、ここから約4km、車で約7分。
アクセスに利用する国道464号線は「宗吾街道」とも呼ばれる。





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