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擬宝珠に銘文 母の愛あふれる橋
裁断橋
愛知県丹羽郡大口町

201837日制作
桜の名所・五条川に架かり、付近は堀尾跡公園となっている。
元々は名古屋市熱田区にあり、ここで再現した。亡き子を思う母の愛が伝わる橋だ。


豊臣秀吉の重臣・堀尾良晴一族の堀尾金助は、弱冠18歳で小田原北条氏攻めへ出兵することになった。
母は金助を見送りに、旧東海道の裁断橋(現在の名古屋市熱田区伝馬町)まで出た。
しかし、金助は陣中で病死(戦死説もある)してしまう。
母は嘆き悲しみ、せめてもの供養をと、最期の別れとなった裁断橋の架け替えを思いつく。
橋は老朽化しており、亡き息子の供養になると信じたという。
そして、土地を売り払い、私財を投げ売って資金に充てた。
2度目の架け替えでは、擬宝珠に子への思いを綴った。
しかし、母は新しい橋を見ずに世を去ってしまう。

現地の看板より
てんしやう十八ねん二月十八日おだはらへの御ぢん、ほりをきん助と申す十八になりたる子を
たゝせてより、又ふためとも見ざるかなしさのあまりに、いま此はしをかける事、はゝの身に
はらくるいともなり、そくしんじやうぶつ給へ、いつがんせいしゆんと、後のよの又のちまで、
此かきつけを見る人、念仏申給へや、卅三年のくやう也
(※いつがんせいしゆん(逸岸世俊)は金助の戒名)
この銘文は「成尋阿闍梨母の集」、「ジャガタラ文のお春の消息」と並び、「日本女性三名文」として知られている。
1927(昭和2)年に橋の下を流れていた精進川が埋め立てられ、裁断橋も一旦廃止となり、擬宝珠は保管された。

平成3年の裁断橋(名古屋市熱田区)
そして戦災後に再建された姥堂境内で、1953(昭和28)年に当時の3分の1の大きさで橋は再現され、小公園になった。
この話は「悲願の橋」という題で小学校国語の教科書に載り、教材となった。

現在の裁断橋跡(名古屋市熱田区)

擬宝珠の銘文(名古屋市熱田区)
1992(平成4)年には老朽化で橋が取り壊され、擬宝珠は名古屋市博物館に収蔵された。
コンクリート造りの姥堂と「裁断橋跡」モニュメントが設置され、レプリカの擬宝珠が取り付けられた。


裁断橋(大口町)
その後、大口町の堀尾氏の館があった場所に、五条川を跨ぐ裁断橋姥堂山門が再現され、周辺は堀尾跡公園が整備されている。
日本さくら名所百選「五条川」の一部で、シーズンには花見客で賑わう。

裁断橋(大口町)と桜

裁断橋(大口町)から見た風景
五条川の桜SPinfo

裁断橋と姥堂の山門(大口町)
石碑(大口町)





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